金の王子と囚われの花嫁


 その都市、かつてのグリンカ王国の王都キルサスは、既に廃墟と化していた。ほとんどすべての建物は崩れて焼け焦げ、いくばくか残ったその残骸ゆえに更なる無惨さをあらわしていた。
「できたてほやほやの廃墟ってとこか。焼けてから半年だったか?」
 セルゲイ・カーロフは首をすくめて皮肉げに笑った。グリンカのかつての隣国、イリジア王国の第三王子である。この王子は少々背の高さが足りないことを除けば、なかなかに見映えのする容姿をしている。日に焼けない白皙に短く切った金髪、瞳は湖水の青で、その姿は妖精に喩えられることもあるほどである。だが、引き摺りそうなマントと背の高すぎる傍仕えの騎士がその威厳をすっかり減じていた。このふたりは、その見た目ゆえにどこに行っても実によく目立つ。この王子も凸凹コンビと言われるのが嫌なら他の者を伴えばいいのだが、やはり気の知れたものがいいらしい。他の者はなくとも、この背の高い騎士だけは連れて歩くのが常である。
「しっかし、親父殿も派手にやったものだなあ。焼きに焼いたりン千里ってか? 市街地も城もほとんど残ってないじゃないか」
「まあ、アトがなかったみたいですからねえ」
 アンテが呑気そうな声を出した。件の傍仕えの騎士である。背が高く、がっしりした体格の大男ではあるが、口調や動作はごく穏やかで落ち着いている。
 イリジアがグリンカの王都を陥落したのは、この冬のことである。宣戦を行ったのはグリンカであったが、時をうつさず王都を急襲して勝利を得、事態を収めたのはイリジアであった。戦闘直後は酸鼻極まる状況であった王都キルサスでは片付けが進んで今は瓦礫以外の物は残っておらず、人気もほとんどない。いるといえば後始末と警備のために仮設の兵舎に配備された兵士ばかりで、というのは王都から焼け出された人々のほとんどを他所に作った総督府で優先して雇ったのである。
「で、親父殿は俺なんかにここで何をさせようっていうんだ。兄上がすぐ近くの総督府にいるんだろうに」
王太子殿下は、現場向きじゃないですよ。総督府の御仕事も多いようですし」
「だからって、俺を呼ぶような用事があるとは思えないが。馬鹿の三男だぜ? 何が出来るよ?」
 どこか面白がるような様子でセルゲイは言った。施政者としての能力の高さを評価される長男、すでに武人として有名な次男――また次男はこの戦でも充分な戦果を上げている――彼らに比すれば、セルゲイ自身の評価は低く存在も軽い。自分で「馬鹿三男」「吹けば飛ぶような」と言っているが、そのことを少なからず気にしているのだ。いっぽうで、そんな自分を恥じる気持がどこかにあって、それが皮肉めいた軽口になって時折顔をのぞかせる。
 しかし、アンテはその複雑な心境にはまったく触れることはない。つまりはその自嘲めいた言い方に気がついていないのだ。この背が高い騎士を第三王子が連れまわすのは、その性質ゆえでもあった。
「今回は特に陛下からのご指示をいただいてます。あれを解体するので調査に協力しろとの仰せで」
 アンテは、前方にそびえる建物を指した。わずかに歪曲した、細長い塔だけが廃墟の中に屹立している。その塔は、遠目には今にも崩れ落ちそうに見えた。調査するまでもなく瓦解しそうである。
「塔か。城は崩れたのに、塔だけ残ったんだな。あれがどうかしたのか?」
「入り口のひとつ、窓のひとつもないものですから、中がどうなっているのか分からないんですよ。何やっても壊れすらしないもので、ここの司令官が音をあげてしまいましてね」
 騎士の説明にセルゲイは納得のいかない顔つきで訊き返す。
「それで俺か? ……まぁいい。一度現場を見てみるか。それにしてもこの塔、すこし歪んでいないか?」
「ああ、そうですね。どうも戦闘前から曲がっていたようですよ? 何なんでしょうかね」
 塔は、よく見ると熱で歪んだ飴細工のような具合に、ちょっとありえない曲がり方をしていた。たしかにその曲線はわずかなものだが、今にもバランスを崩してぽきりと折れてしまいそうである。
 近付くほどに、その奇妙さは際立って見える。間近に立ったセルゲイは、その姿をみとめて近付いてくる司令官たちに片手を上げて挨拶をしながら、その奇妙な建物をまじまじと見た。
「なんだこれは。妙なつくりをしているな」
「そうなんですか?」
「ああ。ふつう高い塔というのはだな、ほんの僅かずつ先細りに、壁の厚さも薄く積んでいくものなんだ。それでないと安定しないんだそうだ。うちの設計士が言っていた。これは曲がっていて良く分からんが、少し真ん中が膨らんでいるような感じがしないか? 大体が窓のない塔なんぞ、作る意味がないだろう、ふつう」
「まあ……そういわれればそうですね。遠くを見渡せない塔なんて、何の役に立つんですかね」
 止めていた足を再び動かし、塔にさらに近づきながら、嫌そうな顔で王子は答えた。
「むろん、まったく意味がないとは言わないが。王城となれば魔封じだの守護結界の結石だのと、怪しげなのが必要だからな。ただ、言うほどの意味はないのが殆どだろうが」
「そういうものなんですかね」
「そういうもんだ。あまり魔術っ気が強くては生活に支障が出る。少なくとも俺は、そんなところで生活したくはない……が、どうもこれは剣呑だな」
 塔の壁を睨むと、そのまま壁に沿って上に視線を上げる。
「どうかしましたか」
「どうもしないがな。甘い匂いがする」
 アンテが問うのに、セルゲイは鼻に皺を寄せて言った。
「それに、石造りの塔なぞ、最悪、基礎の石を抜けばどうとでもなると思っていたんだが……」
「石の継ぎ目がありませんね。やっぱり魔法ですかね。ああ、それとも呪いかも」
「いや……ここだけ見た分では、そうとも限らんな。魔術臭くはあるが、あまりイヤな感じはない。見ろ、石が一度溶けてくっついている。解せんな。根元が溶ければ普通崩れるだろう。まだ残っているのは何故だ」
「やっぱり呪いなんじゃないんですか。触らないほうがいいですよ」
「たわけたことを。さわって移るような呪いなら、とっくに兵士どもに異常が出てるだろうに」
 剣の鞘でかるく叩いてやると、塔は高い音を立てた。壁面の石は乳白色で、表面がわずかに透き通っている。壁面には溶けたあとがあり、よく見ると石自体には組み上げられていたのをしめす隙間が少し残っていた。表面だけが溶けて透明になり、くっついたように見える。
 アンテがふいに周囲を見まわした。
「どうした」
「いえ、なにか音がしたように思ったものですから――わぁっ」
 悲鳴を上げたアンテではなく、セルゲイが気配を感じてひょいと身をよけると、一抱えもある石が彼らの目前に落ちてきた。おどろく暇もなくふたつ三つと頭上から大きな石が降ってくる。目の前にあるものと同じ石である。何故かとつぜん頭上から塔の壁石が降ってきたのだ。その襲撃は一瞬で止み、振り仰いだ頭上から悲鳴が聞こえた。逆光でその様子はよく見えない。
「きゃあっ! ついに出口ができたわ」
 否、おそらく聞こえたのは悲鳴ではない。言うなれば歓声らしかった。若い女性の声である。
「――馬鹿な。中から人だと?」
「え? 何がおかしいんですか」
「半年間ずっと壊れもしなかったと言ったのはその口だろうが! では、あれは半年間ずっと中で生きていたというのか?」
「あ……!」
 驚く騎士を横目に、セルゲイはマントで日差しを遮りながらふたたび頭上を見た。それは状況さえ考えなければ、なかなかに目に楽しい光景ではあった。先ほど声を上げたであろう若い女性が、ぽっかりと開いた塔の穴から縄らしきものを垂らして伝い降りていた。彼女は、ひらひらとしたものを身に着けてはいたが、丈が短すぎて細い足がしっかりと見えている。かれらの真上なので、遠すぎるにしろ、その気になればスカートの中まで見えてしまいそうだ。
「わあ、何ですかアレ。足が丸見えじゃないですかぁ」
「ばか、喜んでる場合か。そこの石退けとけ! おい、そこの! 予備の天幕を! それと人手連れてこい、今すぐだ! 下手すると落ちるぞ、あの女」
 セルゲイはアンテのうしろ頭をはたいて、こちらに来ようとしていた司令官をどなりつけた。自分もアンテとともに石を退ける作業をしながら、頭上の女の様子を窺う。相手はこちらに気がつくどころではなく、縄を降りてくるので必死の様子である。驚かせてもいけないだろうと、敢えて声は掛けなかった。
 女は、どうやらこういったことに慣れていない様子であった。降りようとするたびに縄が強く揺れ、彼女の身体は何度となく歪んだ塔の壁に打ちつけられた。ほとんど手を滑らせるようにしてズルズルと落ちるさまは実に心臓に悪い。泡を食ってやってきた兵士達に石を避けさせて、予備の天幕でどうにか受け止める準備が出来たころには、それでもかなり近くまで降りてきていた。
 ふいに縄が風でおおきく揺れた、と思う間にそれは突然千切れた。天幕を広げた場所からは大きく外れている。セルゲイは自らも走りながら叫んだ。
「アンテ、走れ!」
「はい!」
 彼女に飛びつくようにして抱え、殺せない勢いのまますぐ前を走るアンテにぶつかった。かまわず彼を下敷きにして転がり、なんとか自分だけは起き上がると、アンテは少女の尻の下に敷かれてぐったりしていた。
「だ、大丈夫か」
 さすがに悪いような気がして、セルゲイはとっさにアンテに声を掛けた。
「大丈夫じゃありません……セルゲイ様、なんで突き飛ばすんですか」
「すまん、とっさにデカい身体があったものだから、つい」
 アンテの上でぼうっとしていた少女が、目の前にいるセルゲイに声を掛けた。
「ありがとうございます! 助かりました。セルゲイさま、わたしの運命の王子さま!」
「なんだって?」
 あまりに唐突な言葉に、セルゲイがほとんど凄むような勢いで声をあげたが、少女はまったくひるむ様子がない。本人には自覚がないようだが、少女は実にひどいと言うか、あられもない格好をしていた。黒髪は伸び放題で表情をほとんど隠しており、逆に、着ている服は寝巻きのような代物で、どういうわけか子供用のものを無理矢理着たように、どこもかしこもきちきちに生地が張っている。きつくて外したのだろう襟元の釦は取れかかっており、薄い生地が充実した胸元にぴったりと張り付いて体の線をあらわにしていた。裾も、まるでチュニックのような長さでタイツなどは着けておらず、尻餅をついたままの姿勢であるから、ほぼ脚のつけね近くまで露(あら)わで、下着が見えないのが不思議なほどである。
 何だか見てはいけないものを目にしているようで、セルゲイはつと目をそらした。一方、少女は彼に身を寄せるようにして言う。
「わたしと結婚してくれるのでしょう?」
「冗談はよせ!」
「無理ですよぅ。セルゲイ様には婚約者がいるんですから」
「婚約者!? 婚約者だなんて、ひどいわ」
 身を寄せて訴えてくる少女からできる限り眼をそらしながら、
「……初対面の人間に詰られる覚えはないぞ。第一、婚約者など親が決めるものだろう」
「え?」
 少女がおどろいて目を見開いたが、セルゲイはそれに気付かなかった。目をそらすのに精一杯だったからである。
「とにかくそのひどい格好を何とかしてくれ。見るに忍びない」
 つけていたマントを外して、少女の頭の上からかぶせると、完全にそっぽを向いてしまった。少女は何を思ったのか、頭からマントをかぶったままでじっとしていた。セルゲイは、あらためて司令官に気付いて挨拶をしている。
「司令官どのか。先ほどは怒鳴りつけてすまなかった。ハーヴェイ・ホローヴィチ……子爵だったか? さきの戦の活躍は良く聞き及んでいる」
「おお、たしかに。わたしは子爵をいただいておりますハーヴェイ・ゴドノフ・ホローヴィチでございます。ご存知頂いているとは望外の幸せ」
「そう畏まらなくていい。まあ、よろしく頼む。セルゲイ・カーロフ・イリージスチだ。それと……ああ」
 言いかけてから、側仕えの騎士のいないことに気付いたセルゲイは、少女の下敷きになっている人物に目を向けた。アンテはうめくような声を上げている。
「た…のみますから、上からどいてください。お、重……ぐはっ」
 言わなくてもいいことを言って、立ち上がる少女に思い切り踏みつけられていた。少女はマントをしっかり身体に巻き付けて、うつむいている。セルゲイは、のびているアンテを目顔で示して言った。
「あれが子飼いの部下で、アントニン・ソフォルスキー。あれでも名家の出でね。使えないわけではないんだが、とっさのことには弱い」
「いえ、僭越ながらそのような事はないと思いますが。……新たに天幕を用意させましょうか」
「ああ。うちのはあのままでいいが、とりあえず彼女にはどこか落ち着ける場所を。あとは湯と、着替えがあるといいのだが」
「ああ、そうですね。着替えといっても、なにぶん男所帯ですから男物しか用意できないでしょうが」
「あの格好よりはマシだろう」
「……なるべく新品を探させましょう」
「そうしてくれ」