少女小説家

サルベージ品。埋もれてしまう前に手書きメモから救出しておく。
ハルくんこと晴臣のこと。うーん、どうしてこんな風になるのかな、いつも。

亡き父との和解

 描く、という作業は、僕にとっては記憶をたどることに近い。記憶していないものはスケッチすることができない。僕の記憶には、かなりの偏りがあって、音や匂いは、あまり残らない。その代わり、映像記憶はかなり正確だし、そのおかげでテストであまり困ることがない。きちんと注視していないことでも、思い出せばちゃんと残っている。そんなわけで、絵を描くとき、対象を見て構図を決めたら、モチーフを全く見ない。高校時代、美術部で一緒にデッサンの練習をした兼人(かねと)には、さんざん「お前はおかしい」と言われた。
「効率が悪いだろう、そんなの。モチーフが目の前にあんのに」
「え、でも何度も見たら構図がぶれるし」
 兼人は、うすく青い影の入った石膏像のデッサンを見ながらむうっと口をゆがめる。
「なんでアレでこう描けるんだろうなぁ。お前を見てると、俺の自信がふっとぶんだよな」
「そんなわけないだろ。兼人のが上手いよ絶対」
「お前の何倍も練習してんだよ、こっちは。下手だったら泣く。てか、まさに今泣きそう」
 そんなことを言っていると、先輩たちに何を誉めあっているんだと呆れられるのが常だった。
「ふたりとも、僕らより数段上手いんだから、いいじゃないか。君らを見てると、才能の差ってやつを思い知らされる気がするよ」
「何言ってるんです、先輩。俺は先輩の三倍くらいは描いてますよ」
「兼人、そこで噛みついちゃダメだって」
 僕は、そうしてよく兼人をなだめていたが、実際、兼人は学校の誰よりも描いていたし、だれよりも多分絵が上手かった。僕とは違ってセンスの良さもあった。彼は、公言したとおりに美大に行き、絵描きではなくデザイナーになった。その彼が、会うたび、何か連絡するたびに言うのだ。
「おまえは、描くのやめるなよ。金がなくても紙とペンぐらいは何とか都合つくだろ。絶対やめるなよ」
 父の死を告げた時も、落ち着いたら父親を絵に描いてやれと言っていた。そして今も。また描けと言う。
 亡き父の絵を描くことは、父を正確に、いや、精確にと言ったほうがいいのかもしれない、精確に詳細に思い出すことと同義だった。忘れているわけではない。いままで思い出さなかった。あえて思い出さなかっただけだ。よれた服のしわや、汚れた爪の先まですべて、画としてはひとつ残らず覚えている。だからこそ、絵の中に構図として落とし込んでいくのがつらかった。覚えているすべてから、何を描くかを選ばなければならない。絵を描くとき、描くものは常に問われているのだ、その、何を描くか、を。想像していたよりもはるかに、それはつらい作業だった。描き始めるまでに何日もかかる作業だった。
 僕は、時間を逆回しにするみたいにして一枚ずつ、何か月かかけて父の絵を描いた。一枚進むごとに、父は親戚中に非難されるダメな人間でも、酒浸りでもなくなり、暗い表情も疲れた笑顔も消えて、母を見てただ幸せそうに笑っていた。もしもを言ってもきりがないことは知っているけれど、母が生きていれば、あるいは、何もかもが違っていたのだろうか。父はたぶん、弱い人だったのだろう。母を失って、小学生の子供を抱えて生きていくことが難しかったのかもしれない。僕は、その時はただ自分のことで精いっぱいで、父を助けるとか、そんなことまで考えることもできなくて。いや、そうじゃない。僕には決して助けることはできなかった。僕は知っていた。僕では父のことを救えないことを知っていたんだ。母でなければならなかった。そして、その人はいない。ずっとずっと張りつめた糸みたいに生きていて、でも、仕事を失った時に多分、もう頑張り続ける力なんか残ってなかった。そう。知ってた。泣いても縋っても、怒って殴っても、憎んでももう僕を見てなんかいないこと。
 だからもう、どうしようもない人間だからと無理に諦めて、逃げたんだ。何もできないから。ああ、なんで思い出してしまったんだろう。涙が出た。そうして父が死んでから初めて泣いていることに気付いた。父を責めることなんてもうできなかった。僕は、僕が、責められたかったんだ。何もできなかった、ふがいない僕を。非難されたかった。
 だってみんな父を悪く言うんだ。酒浸りで、借金ばかりで、子供の面倒も見ないって。本当は僕が母の代わりに守らなきゃいけなかったのに。